『いいかい、春野。
  おまえたち四人には、人間を見守ってほしい。先をいそぎ変わっていく彼らに、変わらずめぐりくるものを与えてやってくれ』


 徐々に力を増し、高く昇った陽の光を受けて川面がきらきらと輝く。むせかえるほどの緑のあいだを流れる川には、朽ちかけた橋が架かっている。
 久しく人間の気配が感じられない自然の中に、二人の子どもの姿があった。
「あの子がね、紅葉で真っ赤に染まった山は満開の桜並木なんかに負けない美しさがあるって言うのよ」
「たしかに紅葉だってきれいなんだろうけど、桜の方がきれいに決まってるじゃない?華やかさじゃ絶対に上だし、だいたい葉っぱが花に敵うわけがないと思うの」
 木陰でくつろぎながらも、とうとうと桜の美しさについて語る少女。
「まぁ、花じゃない部分が目をひく植物もあるって聞くけど、なにぶん春は花の季節なのよねー。あたしに葉っぱの美しさはわかり難いわ、つくしなんかはまた違うんだろうし。ねえ夏海、葉っぱが目立つ植物って何があったっけ?」
 川辺で黙って聞いていた少年が口を開く。
「ミズバショウの白は花じゃない。…あとはポインセチア、ヒイラギあたりか」
「あー。なるほどね、どうりで冬樹は秋音寄りのことを言うと思ったわ。秋冬は花が少ないから仕方ないってことか。…で、夏海は桜と紅葉、どっちがきれいだと思って?」
「…俺はどっちも見たことがないからわからん。姉貴と秋音とて片方しか見てないだろう」
「ふふ、さすが夏海は冷静ねー。それを言っちゃうと、私たちの誰も意見する資格がなくなるんだけどね」
 少女は寂しげな瞳で苦笑して、やっとある事に思い至った。
「…そっか、夏海と冬樹は盛りの桜も紅葉も見たことないのよね…。ごめん、伝言してもらうなんて酷だったわ」
「いや、俺も、悪い。…良いように伝えておく」

 傾いてきた太陽が二人を照らしだす。
 決してショールを取らない姉の火照った顔を、肩と膝まで露にした弟が静かに見つめる。

「そういえば前に、なんで私たちは皆一緒にいられないのかって聞かれたことあったなぁ」
「何て、答えた?」
「うーん…私たちは人間を見守るために生まれたような身で、そのための半永久的な命も貰ったから。誇りを持たなきゃいけない、としか言えなかった気がするわ」
「そう。…冬樹は満足しなかっただろうな」
「そりゃあね。でも、あの子だってわかってたんだと思うの」
「俺たちの誰も、全能なる親父には逆らえない、か…」


  『――はい。わかりました、おとうさま』


 春が眠りにおちたころ。
 どこかの公園で、老いた婦人がぼんやりと地面を見つめていた。
「………ーん。……さん?」
 本当に見えているのかどうか。彼女の虚ろな視線の先には――
「温子さーん!どうなさいました?」
「…たんぽぽ、を」
「あらあ、もうたんぽぽが咲いてるんですねー。春ももうすぐですね」
「……妹が、よく見つけてくれるんですよ。…ああもう将太郎ったら、あんなに走り回って…」
 閑散とした広場を前に、ゆっくりと微笑をうかべる。老婦人の頬を撫でる風は、冷たいながらも優しかった。

「温子さん、そろそろ帰りましょうか」
「………」
「車椅子、押しますねー」


 咲きほこる梅の花が、誰もいなくなった公園を見下ろしていた。





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