一

 唐突だが。
 春と言えば、桜だ。
 と、俺は思っている。

◇     ◇     ◇

 三月下旬の某日。俺は、まだ桜が咲かない公園にいた。  高校から春休みの宿題は出ているが、分けてしまえば一日あたりの量はどうってことない。むしろ、国語の古典系の宿題は、楽しい。いろは歌なんて、小学生の頃から諳んじられるぞ。
 文集を取りに、久しぶりに中学校に行った帰り道。たまたま寄った公園に長居していられるのは、それが一番大きい。
 俺は文月秀也、十五歳。三年間通った中学を無事卒業し、この春から高校生と相成る。あぁ、気にしたことはないが、顔立ちは整っている方だと良く言われる。だが、俺の見目なんぞどうでもいい。
「まだ咲かないか・・・・・・」
 大分蕾は膨らみ、薄紅の花弁が顔を覗かせるようになったが、咲くのはもう少し先だ。桜祭りには間に合うだろうか。
 これまでの台詞でわかるかと思うが、俺は日本文化が大好きだ。だから、「春と言えば桜」という図式が成立する。
 もし君が今公園に行って、寝癖頭に眼鏡、ダッフルコートの少年が桜の樹の前で仁王立ちしているのを見たら、それは十中八九俺だろう。
「・・・・・・・・・・・・」
 独り言って、疲れるんだな。いい加減、誰か来てくれ。
 そう思った途端、遠くから声が飛んできた。
「にいちゃーん!」
「直也!」
 転がるように駆けてくるのは、小学校低学年くらいの男の子。パーカーだけで上着を羽織っていないが、頬は熟れた林檎のように真っ赤だ。俺のところまで走ってくると、前髪が汗で額に張り付いている。そりゃ上着いらないな。
「はぁっ、あの、ねっ、さっ・・・きね」
「うん、喋りたいのはわかったから、一回落ち着け。息上がってるだろ」
 呼吸が弾みすぎて、単語でも文節でもないところで言葉が切れまくりだ。
 直也はしばらくぜえはあしていたが、少しすると落ち着いたらしい。
「にいちゃん、のどかわいた」
 おい! それ、さっき言いたかったことと絶対違うだろ!
 憤りつつも、仕方がないので水飲み場に連れて行く。水を飲んで、今度こそ落ち着いたらしい。
「で、さっきはなんて言おうとしてたんだ?」
 びしょ濡れの顔を拭ってやりながら聞くと、きょとんという表情をする。まさか。
「・・・・・・・・・・・・なんだっけ? わすれちゃった」
 思わずかくんと項垂れてしまう。やっぱりか。
「ここまで一人で来たのか?」
「ううん、お母さんといっしょ。あ、おもいだした」
 お、それは重畳。
「さっきね、つくしと、よもぎをとりにいきましょうって」
「土筆と・・・蓬? 食べるのか?」
「うん。お夕はんのおかずとおやつにするんだって」
 うわー、美味しそうだな。近所で採れる春の味覚だ。
「秀也、こんなところにいたのね」
 手に直也の上着を持った女性――当然母さんだけど――が寄ってきた。
「直也、大丈夫? 転んで怪我しなかった?」
「うん! だいじょーぶ!」
 満面の笑みを浮かべる弟に、俺はそっとため息をついた。
「秀也、これから、土筆と蓬を採りに行くんだけど・・・」
「あぁ、直也から聞いた。俺も行こうか?」
「あなたは宿題があるでしょう? ただ、帰ったら、土筆の袴取りを手伝ってね」
 あー、あれか。
「わかった」
「お願いね。――直也、行くわよ」
「はーい。じゃにいちゃん、楽しみにしててね」
「あぁ。行ってこい」
 さて、さすがに俺も、そろそろ帰って宿題しないと・・・・・・。
   
◇     ◇     ◇

「にいちゃん、見て見て! つくしがおじぎしてる」
「うわー、確かにそう見えるな」
 茎の途中で折れた土筆は、お辞儀した人に見えなくもない。
「こんどは、はかまがいっぱいついてる!」
「げ、茎が見えないくらいびっしりだなー。取るの面倒だぞ、これは」
「これ長いよ!」
「こっちはすげー短いぞ」
 籠いっぱいの土筆を、一本ずつ処理していく。地味な作業だが、こうやってはかまを取らないと、食感が盛大に悪い。
 想像力豊かな直也の発言に、母さんも苦笑した。
「楽しそうねぇ、二人とも」
「わーこれ、あたまがとれてる!」
 頭が取れてる!? それは擬人化すると気色悪いぞ?
「あ、あたまあったー」
 今度は生首か!? 直也、それ系は擬人化すんな!
「・・・・・・・・・・・・楽しそうねぇ」
 心なしか、母さんの語調も引きつっている。
「・・・か、母さん、蓬団子はできた?」
「あともう少しよ。そっちも頑張ってね」
「・・・・・・うん」
「わ、かわがむけちゃった!」
 直也、頼むからもう、その逞しい想像力を、何とか止めてくれ〜。


   二

「ごちそうさまでした」
 土筆の佃煮で、ご飯二膳完食! でも・・・。
「はい、食後のおやつ」
 昼間の蓬団子、いただきます!
 白玉粉で作った団子は、白と緑の二色。そこに小豆の赤色が加わって、彩り鮮やかだ。
「よく入るなぁ、秀也」
 最近ダイエット中の父さんが、羨ましそうな目で俺を見る。
「まだまだ成長期だからね。あー美味い」
 仄甘い団子に舌鼓を打っていると、ドン! という音が鳴った。
「なに?」
 まだ夕食を食べていた直也が、おびえたような表情をする。
「風かしら・・・。それにしても強いわね。お天気が崩れるのかしら」
「おいおい、桜祭りは明後日だぞ?」
 地区会長を務める父さんは、眉をひそめた。白玉のお代わりを食べながら、俺が返す。
「明後日じゃないだけいいじゃん? 明後日だと、確実に祭りは中止だと思うけど」
「あしたのお天気は?」
 直也の素朴な問いに、母さんがテレビのニュースをつける。
「明日は・・・あら、雨みたいね」
 っていうか、暴風注意報でてるし! 「雨みたいね」じゃないだろ、母さん! あ、それと。
「明日は外に出るなよ直也。お前、絶対吹き飛ばされるぞ」
「えっ、僕、飛ばされちゃうの?」
 悲壮な声をあげる弟を見て、父さんが渋面を作った。
「秀也。お前、余計なことを直也に吹き込むな。信じたらどうする」
 いや、結構真面目に言ったんだけど・・・。
「でも、本当に直也なら飛ばされちゃうかも知れないわ。台風並みですって」
 ・・・・・・季節外れの台風か? って、それじゃ桜も咲けないじゃんか! 
「お祭り、どうなっちゃうの?」
「さぁね。こればっかりは天候次第だからな。むぐ」
 最後の白玉を飲み込んで、手を合わせる。改めて、ごちそうさまでした。
「明後日には止むといいけどなぁ・・・」
 父さんの呟きに、全員が首肯した。

◇     ◇     ◇

「お見事・・・・・・」
 その翌々日。つまり、桜祭り当日。見事に晴れた空を見上げ、俺は思わず呟いた。
「さすがに桜は咲かなかったわねぇ・・・」
「さくらまつりなのにねぇ・・・」
 ほのぼのした二人はおいといて。
 確かに、ソメイヨシノはまだ咲いてない。けど、他の種類ならちらほら咲いてるぞ。本当に一寸すぎるけど。
「それじゃ私は、お父さんの手伝いに行ってくるから。直也をよろしくね、秀也」
「へーい」
 さて、どこ行くかな・・・。
「にいちゃん、ぼく、かみひこうきつくってくる!」
 そう言って直也が指差したのは、近所の児童館による工作の模擬店(当然無料)。
「おう、行ってこい」
 数分後。
「にいちゃん、できた!」
 直也が満面の笑みで差しだしたのは、異常に完成度が高い紙飛行機だった。
「すっげー・・・。これ、直也が作ったのか?」
「ううん、ちがうよ! これは、がくどうのひとがつくってくれたやつ。ぼくのは、こっち」
 もう一方は、悪くない出来だった。
「うん、いいんじゃないか?」
 二つの紙飛行機をためつすがめつしていると、突然直也が叫んだ。
「あ、おもち!」
 出店に突進しそうな直也の首根っこを、慌ててひょいと掴む。
「って、お前お金もってないだろ。食べたいのか?」
「うん!」
「んじゃ、行くか」
「は〜い」
 桜の枝が、春風にさわりと揺れた。


   三

「おぉ〜・・・・・・」
 新しい通学路の途中で、俺は小さく呟いた。
 澄み渡った青空に、薄紅色の花は良く映える。まるで、俺達の入学を祝っているかのようだ。
「すっげ・・・。桜、満開じゃん」
 俺は満面の笑みを浮かべる。と、
「はっ・・・くしゅん!」
 たまたま隣を歩いていたやつが、盛大なくしゃみをする。知らないやつだが、女子だ。制服を着慣れていないあたり、同じ新入生だろう。
「大丈夫か?」
 顔をのぞき込むと(向こうのが背低いからな)、小さな声で応えがあった。
「う、うん・・・。少し、花粉症でっ・・・・・・」
 俺の顔を見た彼女が、一瞬呆けた顔をする。次いで、盛大に赤くなった。色白なせいか、赤くなるとわかりやすい。
 なにか変か? 入学式だからと、むりやり髪を整えられたんだが。
「お前、本当に大丈夫か? それとも、俺の顔に何かついてる?」
「う、ううん! なんでもないよ・・・」
 彼女が首を振った拍子に、長い黒髪がさらさらと揺れる。
「そか、ならいいけど。・・・あ、俺、文月秀也。お前は?」
「春宮弥生・・・。春に宮って書いて『とうぐう』って読むの。変でしょ?」
 春宮? って・・・。
「ぜんぜん変じゃないよ! それ、古文で出てくる言葉だろ? 俺そういう名前、好きなんだ」
 彼女は一瞬目を瞠ったが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「・・・・・・・・・・・・本当? そんなこと言われたの、初めて・・・」
「そうなんだ。・・・・・・あ、時間だ。行こうぜ」
「そうだね」
 一緒に歩き出して、もう一度空を見上げる。
 俺の高校生活、いい感じに始まったみたいだな。



〈終〉








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